
<平成28年(2016年)熊本地震を振り返って>ver3
初詣は近くのK神社に行きますが、例年、世間の仕事始めの5日か6日までは車が多すぎ駐車が困難です。
私はそのあとに行くようにしていますがチョットご利益が少なそうです。
12月31日に健軍商店街の老舗の蒲鉾屋さんの帰りに、「今日、繰上げ初詣」に行こうとフト思いつき行きました。ガラガラだろうと。
なんと、2-30人が行列をなしており、次々と来るではありませんか。
思わず、苦笑いですよ。こやつら、にわか信心者のバチあたりが。
でも、来年もこの手だなと思いました。
それにしても年4回春夏秋冬(1月正月、5月結婚記念日、8月盆、10月誕生日)だけ
購入する老舗蒲鉾屋さんの良心的な価格の蒲鉾、厚焼き玉子、からし蓮根は絶品ですね。
私が知る熊本が誇れるベスト3(蜂楽饅頭、坪井の饅頭屋、健軍蒲鉾屋)です。
さて、新年おめでとうですが、早々にフンドシを締め直しましょう。
ついにあの深夜の悪夢から今年は10年目です。
寝入っている所に突然の揺れ、一瞬で目を覚ましました。
皆さん、クッキリ思い出しますよね。その20秒間の長いこと長いこと。
在京の愚息の話では2011年の東日本大地震は体感で約5分間(300秒)も続いたそうで、その間、机につかまり、震えていたそうです。
実際は3分間(180秒)のようですが、無限に長かったでしょうね。
年号も平成から令和へ変わりました。
そして60代は70代へ、80代は90代になったのです。
私は隣人を助ける立場が、助けられる足手まといになったのです。
30mは走れません。100m急ぎ歩きでも息が上がります。老化です。
当日、朝6時から血相を変え公民館を心配して駆けつけていた、
近所にお住いのS副会長は今は鬼籍です。
財産書類をバッグに詰め、車に避難していたダンディなO御大は施設です。
正月早々申し訳ありませんが、4000文字の長文で、
前のHPに掲載していますが「月曜から早起き」が新設され、
以前のものはあまり見なくなると思い、再々掲しました。
時間が経って能登半島、青森沖等、他の地域で多少大きい
地震がありましたが、従来の認識と予想は変化していません。
そして、仏壇を実家の八女から帯山に昨年6月に赤帽で持って来ました。
そこそこ立派な仏壇です。自宅の重心が決まった感じです。
毎朝起きると直ぐお経を上げます。超短縮版ですが。
◆梅雨の豪雨は帯山6町内は熊本平野が広がっているし海抜30m程度なので
人吉球磨豪雨以上が来ても大丈夫です。
豪雨シーズンは6月20日から7月20日が実績です。
実家が過去数回ひどい被害にあっているので気が気ではありませんが、
家屋と家財に目一杯の保険をかけ、一目散に逃げるようにしています。
買い替えができない遺骨、写真などは分散保管としています。
◆次は年中無休24時間営業の地震です。
私の経験知見を素人の貧弱な知識ですが、私なりに次への備えとして
熊本平成28年地震を評価してみました。
菅元総理が唱える「自助、共助、公助」はまずは自己評価、自己対策でしょう。
甘々の正常化バイアスかもしれませんが、なんとなく安心しました。
(1) 予行練習ができた。
最大の特徴はマグニチュード6.5の前震があり、
その28時間後に約30倍のエネルギの阪神淡路大震災と同等のマグニチュード7.3の本震が来た
ことだろう。
いわば結果的に前震で予行練習をし、本震で本番を迎えた様なもの。
阪神、東日本はいきなり本番であった。
帯山では震度5強で予行、本番は6強だった。
ここで多くの人が学習し、差が出たもよう。
私は「何で本震の後にまた本震なんだ。余震と言っていたじゃないか」と
約20秒間の本震の間、腹を立てる余裕があった。
前震の時は手の震えが20分ほど止まらなかったが、本震では震えもなく、
直後の2時間ほどの停電では、乾電池ラジオを付けニュースを聴き全体状況を把握し、
部屋は懐中電灯で明るくし、被害がごく軽微なことを確認した。
6時に朝食を取り、いつもの散歩に出かけた。
さすがに散歩しているのは私一人であった。
途中、車中避難している知り合いの3家族に状況尋ねた。
目的地の年間360日以上行くコンビニは被害が大きく閉店していた。
前震の時は後片付けも終わり冗談も言えたのに。
(2) 時期が良かった。
4月で寒さ暑さが許容範囲で、寒かった東日本、阪神とは異なり、避難環境は多少ましだった。
(3) 時間が良かった。
4月14日(木)21時26分、4月16日(土)1時25分と熊本城石垣崩落では観光客がいなかっ
たので人的被害がなかった。 特に近年増加していた海外の観光客がいなかった。
いたら管理団体の熊本市や日本政府は他の事例同様に数十年に渡り想像したくないほど苦しん
だだろう。
熊本城の勇壮な外観は私の大好きな愛すべきシンボルではあるが、
不要とは言わないが、所詮は不急の内部は古いコンクリビルのハコ物なので時間と金をかけれ
ば元に戻る。
52年前に初めて天守閣に登り貧相さにがっかりした。
また、仮に発生が夏の昼間の13時25分だったら、熊本城落石や阿蘇大橋崩落で多数の死者
が出、 避難所では熱中症や伝染病、支援の食料が腐り食中毒が大発生し、 蒸し暑さのイラ
イラ 騒ぎが多発したのではないかと思う。
(4) 津波がなく、火災が10件程度で収まった。
震源が内陸であり、津波がなかった。
ネットでは1mの津波との偽情報も出ていたそうですが。
また、午前6時近くに発生した阪神は多数の火災が発生し人的被害が増えた。
3号線沿いの北バイパス工事用広場には各県から応援に来た消防車が数十台駐車していたが、
署員は暇そうだった。
旧植木運転試験場に待機していた百台以上のパトカーを見に行く余裕はなかった。
(5) 帯山六町内は地盤がまあまあ。
布田川断層の震源地から4km以上離れ、中強度程度の岩盤上にある、崩落する山もないので
比較的安全だった。
20数年前に家を建てるとき、すでに当時の住宅営業担当者は「布田川断層地帯」の危険性
について説明していた。
住宅建築業界では常識だったようである。
いとこが住んでいる福岡県柳川市は震源地から50km程度離れているが、
地盤が「潟」の軟弱地帯なので揺れが大きく、皿等が50枚以上割れる被害だったそうである。
(6) 前震で多くの人が避難していた。
本震の時にも避難地から自宅に戻らなかった人が多かった。
従って家が崩壊しても助かる人が多かったが、家族が止めるのを振り切って戻り被災された
人もいた。
(7) 頑強と思われた熊本城が大々的に崩落したので、
他の地域の人々への印象が強烈で支援金やボランティアが多く集まった。
子どもや友人知人、親戚、恩師からの私への連絡も熊本城の映像を見て驚いたとのこと。
(8) 4月17日に朝から福岡方面へ水を追加で手に入れるため3号線を北上していたとき植木
辺りで、京都、川崎、鳥取等の県外ナンバーの救急車、消防車、パトカー、自衛隊の数十台
の隊列とすれ違った。
時間的に徹夜で運転してきたと思われる若者が凛々しい顔をして運転しているのを見て涙が
滲んできた。
思わず心で「ありがとう」と叫んだ。久々に感動した。
しかしその夜水道はチョロチョロ出始めたので結果的には無駄足だったが必要な行動だろう。
行きはすいすいだったのに帰りは植木インタあたりから大渋滞で、帯山までの高々20Kmに
4時間もかかった。
(9) 当家の被害は本震で皿3枚だった。
要因は、断層震源地から4km以上離れている、帯山は中強度の岩盤上にある、
家の基礎が厚さ1mのとても頑強な鉄筋コンクリ作りである、
地震を揺らして逃げる強靭な鉄骨ラーメン構造(溶接で鉄骨を接合する)である、家が小さ
いから尚更強い。
いわばダンプカーの構造材で軽トラを作ったようなものか。
(10) 元来の臆病者なので、震える手で前震後10分以内に直ちにペットボトルやバスタブ
満杯の水を準備し、
翌日たまたま1週間分の食料を購入する日だったので本震で役に立った。
今は飲み水36リットル、生活水210リットル(2年に一回36リットル増えていく)、
常用薬2週間分、石油ストーブと18リットル灯油、米、ご飯の友、缶詰等を追加で準備した。
他もなるべく2週間目処で備蓄していたので先日のコロナのトイレットペーパー不足にもあわ
てなかった。
家に2本しかなかった突っ張り棒を家具や冷蔵庫、電子レンジ等全てに設置した。
地震の第一撃には耐えそう。
長年先延ばしにし10年間隔と言われていた外装の再塗装を19年目にしてやっとふんぎ
れた。
しみったれた年金暮らしの我が身としては小型車1台相当分の費用は相当なものがあったが、
これで20年は持つとのこと。
塗装剤の技術が20年前より相当進化しており、新築と間違えられることが多くなり、まあまあ
かな。
(11) この地域は8段以上のブロック塀が多かったが、地震を機にブロックの高さが一気に低
くなり、見通しの良い風景となった。
願わくば3段以下であるが、新築の家はそうなっていることが多い。
(12) 地震の感想文を住宅会社のユーザー向け季刊誌に1回投稿したところ2回も掲載され、
少ないが謝礼を2回もらった。
熊本県から5件の投稿が掲載されていた。
以上により、近々可能性があると言われている日奈久断層地震に備えるが、帯山は震度5強
か6弱程度だろう。
雲仙噴火崩落の津波があっても帯山は海抜30mなので影響はないだろう。
また早くて90年以内で普通は2000年以内に予想される再度の布田川断層地震には桃尾墓園
の墓石を倒壊しにくいものとしておいた。
27万年前から平均5万年に1回の阿蘇大爆発は、直近からすでに9万年を経過しているので
いつでもありそうだが対策はあきらめよう。
なお9万年前の噴火は歴史的に知りえる最大のもので阿蘇山はエネルギを使いすぎており、
次の蓄積がなさそうなので、これにて地震対応としよう。
一般的に直下型地震は積立預金と同じなので使ってしまえば次まではお金はないとのことで
ある。

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